国際舞台での活躍 |
ケペル木村 (MPB/中南米音楽) |
ブラジルRCAからレニーの記念すべきファーストアルバム『センササォン(センセーション)』がリリースされたのは1961年のこと。そして最初のヒット作になったのは、男性歌手のペリー・ヒベイロやピアノ・トリオのボサ・トレスと組んだ『ジェミニ5』だった。このアルバムの大ヒットのおかげで、レニー・アンドラーヂはブラジルを離れ、アルゼンチンにしばらく滞在して成功を収め、さらにメキシコでもこのショーが大ヒットでロングランとなり、彼の地には5年も住むことになる。 ブラジルに帰国したのは70年代初めのこと。レニーも再びソロとなり自分のスタイルも固まって数枚のアルバムをオデオンからリリース。その後、ブラジルCBSから1979年に発表した『レジストロ』がヒットする。 80年代に入ってからはアメリカやヨーロッパへのアプローチを積極的に行い始める。「レニー・アンドラーヂはブラジルのサラ・ヴォーン的存在」などと云われ始めるのはこの頃からで、次第に彼女の名前が欧米の方でも広がりを持ち始めていくようになる。アメリカではジャズ歌手の大御所であったカーメン・マクレエがレニのことをいたく気に入って、あちこちに彼女を連れて行き紹介してくれたとの話もある。 |
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